服をすべて捨てた理由

「最近、雰囲気変わったよね」

とよく言われる。そりゃそうだと思う。

昨年まで地味な、いわゆるイケていない服を3日サイクルペースで着ていたので、最近綺麗めな服を着ていることに印象の違いを感じるのだろう。

かつてはおしゃれが特に好きなわけではなかったが、だからと言ってあえてみすぼらしい恰好になるのも好きではなかったので、人並みにおしゃれはしていたつもりだった。スカートもパンツもヒールも履いていた。昨年のような、よれたパーカーと汚いスニーカーで毎日過ごすような人物ではなかった。

でも、2020年に持っていた服をすべて捨ててしまった。

なぜなのか。

 

2020年当時の心境は突発的だったようにも思うので、うまく説明できないし、合理的な理由付けもできないと思う。でも、こう説明したらすんなり腑に落ちるという説を見つけたので、それを書き留めておく。

一応断っておくと、筋道たてて説明できるからと言って、それが本当に起こった事実に合致しているのかどうかは分からない。

 

2019年末に妹が割と重めな病を患った。抗がん剤治療が必要で、治療後も副作用に注意しながら過ごさなければいけない病気だった。

その病気の原因は教科書的には「よく分かっていない」と言われているが、専門医からすれば遺伝的要素も関係しているらしい。妹の場合にも、染色体か遺伝上のエラーがあったようだ。

私と遺伝的に最も近い妹がそのような病気になった。私ではなく、妹が。遺伝的に最も近いのに、不運に見舞われたのは妹だった。

しかも、遺伝的に最も近い私は、妹と血液の型が合致すれば、妹の治療に貢献できる可能性を最大限兼ね備えていた。なのに、その治療に貢献できる可能性からも外れてしまった。

私は不運にも見舞われず、治療にも貢献できないという“何もできなさ”と、才能によっても努力によっても克服しえない”力不足”を心底味わっていたと思う(どうにもならないけれど)。

妹の方は、治療の副作用で髪は抜け、顔は丸くなるのに身体は痩せこけ、あちこちに湿疹ができた。退院後も、日光に当たるのが良くないので長袖で過ごし、けがをしたら大変なことになるため足元のおしゃれからは遠のき、常にウィッグを被って過ごしていた。

4つ下の妹がなぜ?おしゃれ盛りのなのになんでこんな目にあっているのか。

私が妹と同じ歳だった頃を思い出すと、心から人生を楽しんでいたと思う。なぜ、それが妹はできないのか。

 

そんな状況で、私が華やぐことは到底できなかった。慎ましく過ごそうとおもってしまった。色々あって、妹が退院後は、私が妹の家に住んで身の回りの掃除や炊事を手伝っていた。

すぐそばに様々な生活上・表現上の制限を被る人がいるのに、そんな人を横目におしゃれはできない。というか、自分を綺麗に見せるという意識を捨てたくなった。ばかばかしくなった。今やることはそれじゃないと思った。

だから、持っていた洋服をほとんど捨てた。手元に残したのは、本当に着心地のよいパーカーくらい。スカートもパンツもピアスも捨てた。私の延長にある彼女が苦しんでいるから、少しは苦しさを共有したかったのかもしれない。

 

最近になって、その妹が友人とお出かけしたらしく、写メを送ってきた。

そこに写る妹は今まで見てきた中で一番美人だった。びっくりするくらい美人だった。

私はなんだか、ほっとした。おしゃれが楽しめるようになった。日常が完全ではないものの、戻りつつあると思った。

多分、その写メをみたことで私も少し解放されたんだと思う。慎ましく地味に過ごして、楽しめないことを共有する感覚、これらを手放してもいいのかもと思ったのかもしれない。

だから、最近はメイクをして綺麗めな服を着るスタイルを再獲得しつつある。

 

 

第8回『ぐんまちゃん』を観た

A「みーみとパパ」
みーみのママは俳優、パパは小説家。
パパの見た目は、金田一チック。おそらく推理小説家だから横溝正史からヒントを得た?
群馬の小説家といえば、萩原朔太郎土屋文明田山花袋あたりか。
推理小説に詳しくないのでちょっと調べてみたら、日本のミステリー小説黎明期を支えた渡辺啓助という作家が、群馬県渋川市に縁があった。県で企画展示を開催したこともあるらしい*1
そういえば、横山秀夫クライマーズハイ』の舞台は群馬だし、同じく横山原作の映画『64ロクヨン』は設定が群馬だったな。

このパパは娘を癒しの対象と見なすわりに、仕事に集中したいときは放っといてくれという。
娘をいいように扱う父親は、最悪な野郎かも。みーみがまるでペットみたいじゃないか。

B「あおまのお留守番」
あおまの両親は両方とも学校の先生。あるある。

もしかして、Aパートでかかあ天下を描こうとして、コンプラ的に良くないという意見が出たから、このBパートでかかあ天下要素を薄めた?

あおまの勝気でわんぱくな感じが好きだ。
あおまは敷かれたレールをレールと気が付かずに辿って幸せになるタイプだろうなぁ…。
あとでレールに乗っかった人生だったと気が付いたとき、人生を受け入れる精神を身に付けているのか、全てが信じられなくなって引きこもってしまうかは、分からない。
なんとなく、一度メンタルを崩しそうな奴だなと想像している。

公式の設定によると、ロボットの「グングンマー」*2は「グン」「グン」「マー」に分解可能で、
「グンマーグン」、「マーグングン」にもなるらしい。
発想が素晴らしい。
真面目に、商品化してみては?

C「ぐんまちゃんの不思議な朝」
この回のストーリーは、ぐんまちゃんが2重になった予知夢らしきものを見ており、現実に戻ろうとするというもの。
かわいいタッチで描かれるから、のほほんと観ることができるのだけど、
よくよく考えれば結構怖い話である。
というのも、
ジョジョの奇妙な冒険(荒木飛呂彦)という超大作漫画をご存じだろうか。
この回は、ジョジョ4部で描かれる、ラスボスこと吉良吉影戦によく似ている。

ある地点で時が吹っ飛び、しかも時が巻き戻され、また同じ時を繰り返すッッッ!
状況は悪くなるばかりなのに、時が吹っ飛んでしまうから手立てがない。
一体どうすれば!?と悩む。

なんやかんやで自力で解決しちゃうぐんまちゃんは強い。
読書をしている余裕まである。お前は承太郎か?

でもこれだけは言いたい。
ぐんまちゃんよ、おかわりくらい自分で盛れ。

*1:

www.walkerplus.com

*2:

 

第7回『ぐんまちゃん』を観た

A「キャンプへゴー!!」

キャンプに来たぐんまちゃん。そこはどこだ。榛名湖*1?赤城の大沼*2?菅沼*3
キャンプとかカヌーとか、レジャーには事欠かない、それが群馬県。アニメから確認できるのは湖畔であることだが、群馬県は湖畔のキャンプ場だけでも複数ある模様。*4
遊びとは、楽しいこと。

パパは子どもたちに、楽しさというか、いわゆるロマンを吹き込む。
感化された子どもたちはお手伝いをする。

一方その頃、ママは娘たちに毒見をさせていた。結構サイコな人物である。

私もキャンプしたくなっちゃった。

 

B「誰と遊ぶ?」
二人とも、私のために喧嘩しないで!という”ぐんまちゃんヒロイン状態”が勃発。

3人の組み合わせを一生懸命考えるぐんまちゃん。
3人内でペアを作る組み合わせは、[ぐんま+あおま][ぐんま+みーみ][あおま+みーみ]の3通り。やっぱり[ぐ+あ+み]が一番だね、と気がつき、計4通り。
これは①1人+2人の組み合わせ(3人グループから1人を選ぶ方法、₃C₁だよね
?)と、②3人一緒の組み合わせの合計である。

ゆうみが乱入して4人になっても、同様。
①1人+3人(4人から1人選ぶ方法 ₄C₁);4通り
②2人+2人(4人から2人選ぶ方法 ₄C₂)を2で割る;3通り
③4人一緒;1通り
計8通り
……なんだけど!問題設定は、「みんなぐんまちゃんと遊びたがっている」=ぐんまちゃんとペアになる方法を考えなきゃらしい。
そしたら、
①ぐんまちゃんと組む1人を3人の中から選ぶ(₃C₁);3通り
②ぐんまちゃんと組む2人を3人の中から選ぶ(₃C₂);3通り
③4人一緒;1通り
の計7通り
もしくは、

ぐんまちゃんがぼっちになる場合を全体の組み合わせから引けばいい。
ぐんまちゃんがボッチになるのは、1通り。
全体8通り‐ボッチ1通り=計7通り。

これを頭の中で計算できる7歳児すごい!!息切れしているのも納得笑

 

ここへパパとママが参入して計6人に。ぐんまちゃんはパニック。


この問題はセンター試験レベルな気がするのよね。
私は組み合わせの問題が苦手だったので、挑戦してみる。

条件なしの場合は、
①1人+5人(6人から1人選ぶ ₆C₁);6通り
②2人+4人(6人から2人選ぶ ₆C₂);15通り
③3人+3人(6人から3人選ぶ ₆C₃)を2で割る;10通り*5
④6人一緒;1通り
計たぶん32通り

ぐんまちゃんと同グループになる場合は、
①ぐんまちゃんと組む1人を5人の中から選ぶ(₅C₁);5通り
②ぐんまちゃんと組む2人を5人の中から選ぶ(₅C₂);10通り
③ぐんまちゃんと組む3人を5人の中から選ぶ(₅C₃);10通り
④ぐんまちゃんと組む4人を5人の中から選ぶ(₅C₄);5通り
⑤6人一緒;1通り
計31通り
かな?*6

あとは、「ぐんまちゃんがボッチの場合以外」と想定すれば、
ぐんまちゃんがぼっちになる場合は1通りなので、
上の計算が正しければ、全体32通り-1=31だから、ぴったりなんだけど。

結論としては、ぐんまちゃんの答えは31通り。
どうだ!(誰か教えてください)

ちなみに最後の食品を食べる順番は、4品を端から並べていけばよいので₄P₄=24通り?

C「温泉へ行こう」
アキオは自由人。
私は群馬出身なので、私にとって温泉は観光する場所というか、ドライブがてらふらっと立ち寄るところだった。

草津温泉は足湯を24時間利用でき、賽の河原が幻想的なので、深夜のドライブにもってこいだ。休みの日に友達と夕飯を食べた後に目的のないドライブをし、夜中24時に草津に着いて、朝5時まで賽の河原でくっちゃべる、なんてことをしていた。

さて、アキオのルートは以下の通り。
くさつ温泉
いかほ温泉
しま温泉
おいがみ温泉
みなかみ温泉
いや、その順番で回るか、普通?Googleマップにこの順番で入力すると、移動時間だけで4時間7分かかる。*7

この回、ずっと気になっていたんだけど、
一般的には、赤城山の神は赤ムカデで、男体山の神は白蛇だよね?
いくつかの赤城神社にはムカデの彫刻が施されているって聞いたことあるし、日本昔話では赤城のムカデと日光の白蛇が闘っている*8
でも老神温泉の伝説はなぜか両者の神が逆転している。
一説によると、老神温泉の祭りを復興させるときに、神を取り違えたのでは?と言われているらしい。*9案外、適当だな。

イマジナリーフレンドとは、幼少期の空想上のお友達のことを指すらしく*10
ぐんまちゃんが空想する分には年相応だからいいんだけど、
アキオの場合はただの幻覚だ。

*1:

榛名湖オートキャンプ場

*2:

www.maebashi-cvb.com

*3:

gunma-dc.net

*4:

湖畔 - ぐんま de キャンプ !!

*5:

③の場合、「3人」という枠が2つできて見分けがつかないので、更に÷2が必要だよね?先述4人の場合の計算でも訳分からなくなったんだけど…。
A~FのうちABの2個を選んだ場合、残りCDEFは4個なので組み合わせとして区別できる。
しかしABC3個選んだ場合、DEF3個が残る。これはDEF3個選んだ場合の組み合わせとダブる。そうすると₆C₃÷2で10通り

*6:

以前計算したときは、5人から1人選ぶ方法と5人から4人を選ぶ方法に区別を付けずに16通りと計算してしまった。でもそれは多分間違いで、

例えば5人の中から1人あおまを選んだ場合、
ぐんまちゃんとペアになることを無視できれば、[あおま][他4人]と[他4人][あおま]の組み合わせは同じものと考えられるけど、
問題設定はぐんまちゃんと組まなければいけないので、[あおま+ぐんま][他4人]と[他4人+ぐんま][あおま]は違う組み合わせとなる。
だから、5人の組み合わせの方法(15通り)×2パターン+1通り(6人一緒)で31通り。

*7:

まず草津スタートが現実的ではない。
どの温泉も県の端っこにあるからどう回っても都合が悪いのだけど、伊香保→(高速)→老神→水上→四万→草津で、3時間57分になった。

*8:

まんが日本昔ばなし〜データベース〜 - 赤城と日光の戦い

*9:

県立図書館においてあった、小暮淳著『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』という本に書いてあった。群馬でしか手に入らない本らしい。一度読んだけど、出版社等の詳細不詳

*10:

イマジナリーフレンド - Wikipedia

第6回『ぐんまちゃん』を観た

A「ものしり博士やる気がなくなる」
あ~、タイトルコールの声が良い♡

・かくれんぼをしていないから、「見つかる」なんてしない
フリーランスの自由人(腰が痛い腰痛持ち的な?)だ
・大人はこどもより疲れているんだから、大人にやさしくしなさい
と理屈を並べて布団にこもる博士。
そんな博士を、Gパワーというある種催眠によって強制的に起こすぐんまちゃん。意外とえぐい発想をするよね。

ペヤング*1*2と思われるインスタント焼きそばで空腹を満たす辺り、貧困層だなと思う。
ものしり博士の「博士」が「博士号」のことだったら、笑えない。

博士がどうしてやる気がなくなったのかと言えば、
時の速さと老いることを考えているうちに孤独を感じ、寂しくなったらしい。
博士はぐんまちゃんと話すうちに、
❝誰かと喋ると、現実は何も変わらないけど気持ちが整理させるから、良い❞と気が付く。それはとても大事なことだと思う。
注意したいのは、発散とは違うこと。いくらTwitterに己の感情を書き込んでも満たされない。
誰か現実を生きている他者に自分の話を受け止めてもらえた、という感覚が必要だと思う。学生や研究者の卵をみていると、ここら辺の整え方がへたっぴだなぁと感じる。
正しさを追求するのは、学問の進展や深化のために必要なことであって、あなたの精神や人間味とは分けて考えてもいいのになぁ。

ところで、「知らないことを知ることばかりじゃ」とは、まんまソクラテス的なあれですか?
時間が一方向ではないという概念は、輪廻転生の思想やニーチェ永劫回帰*3を参考にしているのか。一つの画面に同時に3場面が描かれたのは、重ね合わせの話*4かな。
時は一方向に流れるものでもなく、たった一つの現在という可能性しかないわけでもない。

博士とぐんまちゃんは生徒と先生の関係らしいが、私から見ると先生役はぐんまちゃんだな。

 

B「忍者参上!」
しょっぱなから不法侵入を犯す、フリーランスの忍者姉妹が登場。
ネタバレをすると、こいつらの素性は最後まで謎である。複雑な家庭環境をもっているらしい。別に興味はない。

忍者だからぐんまちゃんに頼み事を尋ねるが、消したい奴を消すことはコンプラ違反らしい。
ぐんまちゃん「消すのはなしなんだ」
忍者姉「違うの、やれるの!やれるけど、なしで」
台本ではきっと、やれる=殺れる、なんだろうな。

女性の忍者は「くのいち」という紹介に対し、
忍者姉は「ちょっと待ってください、その呼び方はどうかと思います。あなたは女性忍者を特別視していますが、男の忍者を❝たぢから❞と呼びますか?」と批判する。

初見時、大爆笑したポイントだった。

あおま「なんかめんどくさいな」
ほんとにな。

でも、面倒くさいという気持ちがあるものの、これは忍者が正しいと思う。
何かを伝えるときに女性か男性かという情報は必要なのか?

女性研究者、リケジョ、女性医師、男性看護師、女性自衛官…。

女性が交通事故を起こしました、女性が性的暴行を受けたと訴えました、男性が暴力をふるいました、男性が小児に性的な行為を強要しました…。

何かの特異性や原因を「性別」に求めること、さらに、このこと自体を探るか助けるような意図や姿勢は、両方ともはっきり間違っている。何かを強調するために「性別」の情報が必要なら、それは思い込みや扇動に加担しているようなものだ。ある集団に何かの傾向があったとしても、その集団の中の一人がその傾向を持っているはずだと判断するのは、論理が飛躍している。

そういうふうに判断しがちだから気をつけましょうという意味を込めて、性別に関する言葉遣いには、日ごろから慎重になった方がいい。きっと誰を抑圧し、傷つけている。

そもそも見た目からその人の性別を判断することは、周囲がその人に性別を押し付けている状態である。あおまは忍者達をみて「くのいちだ」と発言したが、猫とネズミである忍者達が「女性」であるとなぜ分かったのか。

声が高いから?声が高い「男性」は存在するけど。

暖色を身に付けていたから?どんな色を身に付けようと制限はないけど。

女性っぽい人をみて、「あなたは女性である」とジャッジすることのおぞましさは、なかなか共有されない。(国籍に例えると嫌がる人は多いのにね。でも、それは差別の意識からくるものだろうから、真正な理解ではないのか)

生物学的な性は、綺麗に二分しない。XX染色体をもっていても、子宮がない、膣がない*5、もしくは精巣がある人*6は存在するし、XY染色体をもっていても、外見は「女性」として成長する人*7もいる。

彼らの状態は疾患だから性別として例外的だ、とは言えない。性の発達とは発生と分化である。もともと二つに分離しているのではない。大多数とは違う仕方で発生、文化した身体を、直ちに異常であるとは言えない。皆どこかしら他人とは違う身体的特徴をもっている。

また、いわゆる「女性」であっても、テストステロンという筋肉を強くするホルモンが非常に多く分泌されている人もいる。彼女は「女性」ではないのか?筋肉質で、運動能力の高い女性は異常なのか?*8
ここまでは正常の範囲で、ここから先は異常、疾患です、という線引きは容易にできない。というか不可能だろう(しかし、診断を担う医療機関は容易に「異常」という言葉を使ってしまう) 

ジェンダーフェミニズムに配慮している体を醸し出したうえで、「なんかめんどう」という共通項をキャラに言わせておく。ウケるお話を作る戦術としてはアリなのかもしれない。でもやっぱり「めんどう」じゃダメだし、一見して性別のないキャラに「女性」性を付与していることに無自覚な時点で、あ~なんか残念な回だなと思う。

↑こういうのが「なんかめんどう」の理由なのだろうけど、考えることを放棄しているのはそっちなんだから、「いや、考えてください」と返すしかない。

バトラーをちょっと読んだところ、ジェンダー以前に生物学的・科学的な性別すら構築されたものだと言っていて、腑に落ちた。
もっというと、性別は一貫している性質をもつとも限らない。今日は女だったけど、明日は男という人だって、当然あり得る。
長くなっちゃった……。

この姉妹は何をモチーフにしているんだろうか。
というか、こんなにコンプラを連呼しているのに、11話がお蔵入りになったのはちゃんちゃらおかしい。

 

C「さらば!ニャーズ」
ニャーズは解散するらしい。→2/21追記:BOOWYについて調べて知ったのだけど、人気絶頂期に解散するというよっぽど衝撃的なことをやったバンドだったんですね…。ニャーズが「解散」を連呼するのは、そういう背景をオマージュしているのかも。
人気者であるがゆえに、利用されたくないらしい。

「よくあるよね、そういうこと」と、ぐんまちゃんが言う。
さすが、群馬のコンテンツキラー。

現実をよく評価できていなくて、引退という形でやけになっていたのは、ニャーズ達自身だったのか。
ふてくされて、投げ出しちゃうパターン。
これは私自身も身に覚えがあるから、いい教訓である。

第5回『ぐんまちゃん』を観た

A「ゆうみとぐんまちゃん」

ぐんまちゃんの妹はゆうみ
元々、ぐんまちゃんは「ゆうま」ちゃんという名だった。

突然「そんなに楽しくない」と言うぐんまちゃん。え?なんで?やばい、超かわいい。
「やっぱり、楽しくない」
とても苦しそう。唐突に病むぐんまちゃん、本当に大好き。
ぐんまちゃんはドーナツを食べる欲すらない。鬱じゃん。

家を出るときは楽しそうだったのに。
どうやら妹と母から言われた「お兄ちゃん」というワードに、責任を感じて、勝手に潰れたらしい。自滅するゆるキャラ
前回、ナレーションが可視化したので、この回は責任が可視化する。
ロダン作『考える人』*1らしき「責任」が、ぐんまちゃんの頭に乗っかって、どんどん押しつぶしていく。
ぐんまちゃん、本当に苦しそう(´;ω;`)もはやお尻にめり込んでいる。

些細な一言によって、ぐんまちゃんの鬱状態は、一時的な躁状態に転換する。大丈夫かなぁ、このゆるキャラ。別にメンタルが不安定なことは咎めないけど、純粋に心配である。
でも、そんな兄の心理を、実は妹は見抜いていた。抜かりない。
この妹、将来モテるな。

ぐんまちゃんの声として、声優の高橋花林さんが優秀すぎると思うんだ。グッジョブ。

 

B「世界ハニワ大運動会」

オリンピック批判回かな。

ハニワ族の大会は、1000回も続いているらしい。さすが埴輪。
偉い人の話が長くてくどくて、早く競技を始めろよという愚痴は、ごもっとも。

eスポーツが紹介されていたように、群馬県はeスポーツ大会を誘致しているらしい*2
しかも県庁内部に、「産業経済部戦略セールス局eスポーツ・新コンテンツ創出課」なる部門まである。すごいぞ、太一!

 

ナレーションは「スポーツの意味とは?」と問い、
「努力する選手に観客は自分の人生を重ね合わせて感動する。それがスポーツだ」
とセルフ回答。
う~~~ん。それでは選手本人の視点がない。それに、そんな綺麗な概念じゃないと思うけどな。
トランスジェンダーの方々の対応に議論や批判が飛び交うスポーツ界は、そろそろ大改革を起こさないと、硬直化した業界になってしまうぞと個人的に懸念している。男女を別にし、健常者と障害者を分けることは、正しいのか。

 

C「お母さんのお仕事」
ぐんまちゃんのお母さんはセレクトショップを経営している。
ぐんまちゃん「セレクトショップって何?」→買い付けた商品を売る仕事らしい。
つまり、転売屋ってことだよね?

 

陶芸品を立て続けに壊すぐんまちゃんを許せるこの作家は、聖人か、天使か。

そういえばGパワーの存在を忘れていた。
そんなパワーなくたって、癒されるのに。

 

「お・ありがとうございま~す」

第4回『ぐんまちゃん』を観た

A「おじさんとおでかけ」

ぐんまちゃんの叔父さんはアキオという。ネーミングの由来を知りたい。
ぐんまちゃんのお父さんは双子で、その弟らしい。
どちらかっていうと、やんちゃでちょっとだらしない兄貴っぽいキャラである。

アキオ曰く、「どこへ行ってもいいし、これから何をやってもいいんだ。全部自分で決められることが、自由さ」と。
本当にそれは自由なのか。


どこへ行ってもよくて、何をしてもいいとき、我々は「はて、何をすればいいのか」と悩んで、逆に何もできなくなってしまうことがある。
どこへ行ってもいいと言われて躊躇わずにすいすい移動できる人は、「いつまでに」とか休日期間といった時間的な制限があったり、「こことここは周りたい」という事前に知っている場所の情報と自分の趣向という制限があったりする場合が多いのではないだろうか。
これから何をやってもいいと言われるときも同様である。

時間的、空間的な制約を受けているから、障害や抵抗を感じることなく行為できる。
時間内にやるべきことはあるものの、どう頑張ってもめっちゃ暇な仕事と、すいすいと業務を遂行することができて時間内に終わらせることができる仕事であれば、どちらがより自由を感じるだろうか。

アキオの場合は、「自由には責任が付きまとう事を、俺は分かっているぞ」という自覚の表明みたいなものなのだろう。大人だね。

大人の遊園地(公営ギャンブル)へ連れてこられるぐんまちゃん、い~ね~。*1

トリ飯とは、「上州御用鳥めし」のこと。企業名から、単に「登利平(弁当)」って呼んだりもする。紛れもなく美味しい。
ムネ肉のみの「竹」とモモ肉も入った「松」がある。*2
竹の方が安いから、アキオはこっちを勧めている。
でも私は竹の方が好きだ。金額に関わらず竹を買う群馬県民、多分多いんじゃないかな。なぜだろうね。タレの相性がムネ>モモだからかな。

 

アキオ語録が勉強になるのでメモ。
3連単:1~3位をすべて正確に当てること
3連複:1~3位までの順位は問わない。3つの数字の組み合わせがあっていれば勝ち
こんなことを7歳児に教え込む内容なのに、なぜこの回はおとがめなしで、第11回は知事の怒りを食らったんだろう。

甥のためにアイスクリームの一つも買えないし、子どもをこそこそギャンブルに連れていくアキオは、ご近所親戚からしたら子どもを関わらせたくはない人物だろう。

いるっちゃいるよねこういう人。こんな人物をゆるキャラ合戦に参戦させるアニメスタッフのセンスすげぇと思う。

でもさ、公営ギャンブルに子どもを連れて行くのってそんなに後ろめたいことなのか?
行ったことないので実情は知らないが、賢く楽しめればいい勉強になるのでは?なんて思うのだが。数学の勉強にならないかな。

 

B「ちょっとお疲れ?ぐんまちゃん」
ナレーションとナチュラルにお喋りするぐんまちゃん。
他の人となんとなく喋りたくないブルーな日なんだと白状するぐんまちゃん。
元気じゃないこと、元気が出ないことを堂々と表に出せるゆるキャラ、なんて愛おしいんだ。
唐突に病むことができるご当地キャラが、かつていただろうか。

ここでナレーションが便宜的にハニワの姿で登場する。ナレーションの正体は、ぐんまちゃんのイマジナリーフレンドらしい。
「イマジナリーフレンドとは、つまり空想です」という説明がなされたが、それって幻覚のことだよね??(後日追記:「イマジナリーフレンド」とは、幼少期、とくに長子や一人っ子が抱く空想上のお友達のことらしい)

 

で、空想のお友達とお散歩しちゃうぐんまちゃん。以下順路。
河鹿橋(伊香保温泉)
利根川(たぶん水上あたりでキャニオニング)
榛名神社
尾瀬
八木節;屋台で売っていたコロリンシュウマイとは、桐生市の名物らしい*3。(私は北群馬郡出身なので、桐生方面には疎い)
湯もみ(草津温泉)
眼鏡橋

試しにGoogleマップにこの順序通り、県庁発着で入力してみたら、自動車で11時間かかる。北海道民もびっくりな移動距離と詰め込み具合である。
ぐんまちゃんは「素敵な一日」と表現したから、一日で巡ったらしい。
しかし間抜けな順路だ。行くなら伊香保と榛名、尾瀬と水上はセットでしょう。
適当に、県庁→桐生市眼鏡橋草津温泉榛名神社伊香保→水上→尾瀬→県庁にしたら、8時間に短縮された。

確かに温泉は正義だ。群馬には、有名どころでなくても、あちこちに温泉がある。
市町村在住者の割引券などもあるので、積極的に活用したい。
最近残念だったのは、ばんどうの湯が閉館したこと。格安+眺望良でお気に入りだった。と思ったらリニューアルしてた。*4(料金は2倍近くなってる)

 

C「どこにいるの?ぐんまちゃん」
この回はED曲の歌詞「ないないないよ問題はない~君がそばにいたら~」を体現したような話。

もしかして、ママがもっているのはHARADAのラスクか?*5

なんだか皆トラブルを抱えている模様。
なるほど病んでいるときにぐんまちゃんが必要だと気が付くのね。
給料全額ギャンブルに突っ込むアキオも登場。彼こそロックだ。

その頃、肝心のぐんまちゃんは、引きこもりの物知り博士にアイドルを引き合わせていた……。

なんでこの回だけ最終回チックな〆なんだ???

*1:

群馬県は2004年に高崎競馬場は閉鎖されるまで、4種コンプしている県だった。現在は、前橋競輪、伊勢崎オート、桐生競艇

*2:登利平のHP https://www.torihei.co.jp/takeout/

*3:

cororin.aikotoba.jp

*4:

www.bandounoyu.com

*5:

www.gateaufesta-harada.com

第3回『ぐんまちゃん』を観た

A「おしえて!ものしり博士」
人と関わるのがあまり好きではない博士の登場。

そんな陰湿な人物が好奇心についてぐんまちゃんに説く。いやいや、あんた、どちらかっていうと、ぐんまちゃんを見習う立場だろ。

ぐんまちゃんの疑問は意外に深い。
「今日」の次は明日、だから明日になったら今ある「今日」は昨日、ということはすべての時が「今日」なのでは?と。
それに対して博士の答えは、ちょっとずれている気がする。
同じ「今日」でも同じときは一度としてない。将来は大人のぐんまちゃんが一緒にいるだろう、と。
ぐんまちゃんは、「時は常に今ではない。しかし何らかの偶然によって瞬時に今になる。これが繰り返されているよね?」という、いつか哲学の授業で聞いた内容をつかんでいるように思う。無と有の繰り返し。知らんけど。

洞窟に映った影を見て、「幸せ」について納得するぐんまちゃん。
洞窟に影といえば、プラトンの比喩が有名。

だけど、プラトンの場合は、影だけをみてワイワイするのは悲劇というか、無知というか、残念なことであったような?

影じゃなくて、自分の背後にある真実(背後というか、正確にはイデア)をちゃんと見ようとしなさいよ的な比喩だったかと。
あれ?洞窟に繋がれて、影ばっかり見ているのは博士のこと?

博士はご飯をちゃんと食べていないらしく、ぐんまちゃんに飯を乞う。
深淵なことを話せるのに、無垢なぐんまちゃんにちゃっかり集るという設定が、妙にリアル。いるよね、そういう博士。

 

B「スターもたいへん」
この回は、とにかくぐんまちゃんがかわいい。
しょっぱなの鼻歌がよき。ぐんぐんぐんぐん

散歩していると、落ち込んでいる4人組を発見。
4人に対峙するぐんまちゃん、まじかわいい。
彼らはNYAAZ(ニャーズ)というバンドらしい。……BOOWY*1

ボーカルがイケメンで、ギターがモヒカンというのは、まんま氷室恭介と布袋寅泰か?
……すみません、世代じゃないので、

私もぐんまちゃんと同じリアクションをする自信がある。

興味なさそうなぐんまちゃんも最高にかわいい。
さりげなく活動休止を提案したときの、4人の心配の仕方が群馬の若者っぽくて好きだ。

で、最後、歌わないんかーいッ!

 

C「鏡たちのナイショ話」
素朴な疑問なんだけど、姫様は姿見をそんなに所有しているの?
鏡たちの愚痴からしても、イチゴ護衛の悩みからしても、ヤヨイヒメはパワハラ上司ポジなんだな。
でも確かにやよいひめは美味しい。

先輩鏡「青臭い主張を押し通すだけじゃ、だめ」
先輩鏡「自分の若い頃を思い出すよ」
という後輩鏡への言葉に笑ってしまう。これは、ダメな上司の連鎖。後輩にマウントをとっている。
しかも無理やり上司の良いところを見つけて、過度に順応しようとしている。

最後は上司に媚びる先輩がいい思いをして終わる。
正しきゃいいってもんじゃないのよ!というのは、製作者側の愚痴かな。