服をすべて捨てた理由

「最近、雰囲気変わったよね」

とよく言われる。そりゃそうだと思う。

昨年まで地味な、いわゆるイケていない服を3日サイクルペースで着ていたので、最近綺麗めな服を着ていることに印象の違いを感じるのだろう。

かつてはおしゃれが特に好きなわけではなかったが、だからと言ってあえてみすぼらしい恰好になるのも好きではなかったので、人並みにおしゃれはしていたつもりだった。スカートもパンツもヒールも履いていた。昨年のような、よれたパーカーと汚いスニーカーで毎日過ごすような人物ではなかった。

でも、2020年に持っていた服をすべて捨ててしまった。

なぜなのか。

 

2020年当時の心境は突発的だったようにも思うので、うまく説明できないし、合理的な理由付けもできないと思う。でも、こう説明したらすんなり腑に落ちるという説を見つけたので、それを書き留めておく。

一応断っておくと、筋道たてて説明できるからと言って、それが本当に起こった事実に合致しているのかどうかは分からない。

 

2019年末に妹が割と重めな病を患った。抗がん剤治療が必要で、治療後も副作用に注意しながら過ごさなければいけない病気だった。

その病気の原因は教科書的には「よく分かっていない」と言われているが、専門医からすれば遺伝的要素も関係しているらしい。妹の場合にも、染色体か遺伝上のエラーがあったようだ。

私と遺伝的に最も近い妹がそのような病気になった。私ではなく、妹が。遺伝的に最も近いのに、不運に見舞われたのは妹だった。

しかも、遺伝的に最も近い私は、妹と血液の型が合致すれば、妹の治療に貢献できる可能性を最大限兼ね備えていた。なのに、その治療に貢献できる可能性からも外れてしまった。

私は不運にも見舞われず、治療にも貢献できないという“何もできなさ”と、才能によっても努力によっても克服しえない”力不足”を心底味わっていたと思う(どうにもならないけれど)。

妹の方は、治療の副作用で髪は抜け、顔は丸くなるのに身体は痩せこけ、あちこちに湿疹ができた。退院後も、日光に当たるのが良くないので長袖で過ごし、けがをしたら大変なことになるため足元のおしゃれからは遠のき、常にウィッグを被って過ごしていた。

4つ下の妹がなぜ?おしゃれ盛りのなのになんでこんな目にあっているのか。

私が妹と同じ歳だった頃を思い出すと、心から人生を楽しんでいたと思う。なぜ、それが妹はできないのか。

 

そんな状況で、私が華やぐことは到底できなかった。慎ましく過ごそうとおもってしまった。色々あって、妹が退院後は、私が妹の家に住んで身の回りの掃除や炊事を手伝っていた。

すぐそばに様々な生活上・表現上の制限を被る人がいるのに、そんな人を横目におしゃれはできない。というか、自分を綺麗に見せるという意識を捨てたくなった。ばかばかしくなった。今やることはそれじゃないと思った。

だから、持っていた洋服をほとんど捨てた。手元に残したのは、本当に着心地のよいパーカーくらい。スカートもパンツもピアスも捨てた。私の延長にある彼女が苦しんでいるから、少しは苦しさを共有したかったのかもしれない。

 

最近になって、その妹が友人とお出かけしたらしく、写メを送ってきた。

そこに写る妹は今まで見てきた中で一番美人だった。びっくりするくらい美人だった。

私はなんだか、ほっとした。おしゃれが楽しめるようになった。日常が完全ではないものの、戻りつつあると思った。

多分、その写メをみたことで私も少し解放されたんだと思う。慎ましく地味に過ごして、楽しめないことを共有する感覚、これらを手放してもいいのかもと思ったのかもしれない。

だから、最近はメイクをして綺麗めな服を着るスタイルを再獲得しつつある。