第6回『ぐんまちゃん』を観た

A「ものしり博士やる気がなくなる」
あ~、タイトルコールの声が良い♡

・かくれんぼをしていないから、「見つかる」なんてしない
フリーランスの自由人(腰が痛い腰痛持ち的な?)だ
・大人はこどもより疲れているんだから、大人にやさしくしなさい
と理屈を並べて布団にこもる博士。
そんな博士を、Gパワーというある種催眠によって強制的に起こすぐんまちゃん。意外とえぐい発想をするよね。

ペヤング*1*2と思われるインスタント焼きそばで空腹を満たす辺り、貧困層だなと思う。
ものしり博士の「博士」が「博士号」のことだったら、笑えない。

博士がどうしてやる気がなくなったのかと言えば、
時の速さと老いることを考えているうちに孤独を感じ、寂しくなったらしい。
博士はぐんまちゃんと話すうちに、
❝誰かと喋ると、現実は何も変わらないけど気持ちが整理させるから、良い❞と気が付く。それはとても大事なことだと思う。
注意したいのは、発散とは違うこと。いくらTwitterに己の感情を書き込んでも満たされない。
誰か現実を生きている他者に自分の話を受け止めてもらえた、という感覚が必要だと思う。学生や研究者の卵をみていると、ここら辺の整え方がへたっぴだなぁと感じる。
正しさを追求するのは、学問の進展や深化のために必要なことであって、あなたの精神や人間味とは分けて考えてもいいのになぁ。

ところで、「知らないことを知ることばかりじゃ」とは、まんまソクラテス的なあれですか?
時間が一方向ではないという概念は、輪廻転生の思想やニーチェ永劫回帰*3を参考にしているのか。一つの画面に同時に3場面が描かれたのは、重ね合わせの話*4かな。
時は一方向に流れるものでもなく、たった一つの現在という可能性しかないわけでもない。

博士とぐんまちゃんは生徒と先生の関係らしいが、私から見ると先生役はぐんまちゃんだな。

 

B「忍者参上!」
しょっぱなから不法侵入を犯す、フリーランスの忍者姉妹が登場。
ネタバレをすると、こいつらの素性は最後まで謎である。複雑な家庭環境をもっているらしい。別に興味はない。

忍者だからぐんまちゃんに頼み事を尋ねるが、消したい奴を消すことはコンプラ違反らしい。
ぐんまちゃん「消すのはなしなんだ」
忍者姉「違うの、やれるの!やれるけど、なしで」
台本ではきっと、やれる=殺れる、なんだろうな。

女性の忍者は「くのいち」という紹介に対し、
忍者姉は「ちょっと待ってください、その呼び方はどうかと思います。あなたは女性忍者を特別視していますが、男の忍者を❝たぢから❞と呼びますか?」と批判する。

初見時、大爆笑したポイントだった。

あおま「なんかめんどくさいな」
ほんとにな。

でも、面倒くさいという気持ちがあるものの、これは忍者が正しいと思う。
何かを伝えるときに女性か男性かという情報は必要なのか?

女性研究者、リケジョ、女性医師、男性看護師、女性自衛官…。

女性が交通事故を起こしました、女性が性的暴行を受けたと訴えました、男性が暴力をふるいました、男性が小児に性的な行為を強要しました…。

何かの特異性や原因を「性別」に求めること、さらに、このこと自体を探るか助けるような意図や姿勢は、両方ともはっきり間違っている。何かを強調するために「性別」の情報が必要なら、それは思い込みや扇動に加担しているようなものだ。ある集団に何かの傾向があったとしても、その集団の中の一人がその傾向を持っているはずだと判断するのは、論理が飛躍している。

そういうふうに判断しがちだから気をつけましょうという意味を込めて、性別に関する言葉遣いには、日ごろから慎重になった方がいい。きっと誰を抑圧し、傷つけている。

そもそも見た目からその人の性別を判断することは、周囲がその人に性別を押し付けている状態である。あおまは忍者達をみて「くのいちだ」と発言したが、猫とネズミである忍者達が「女性」であるとなぜ分かったのか。

声が高いから?声が高い「男性」は存在するけど。

暖色を身に付けていたから?どんな色を身に付けようと制限はないけど。

女性っぽい人をみて、「あなたは女性である」とジャッジすることのおぞましさは、なかなか共有されない。(国籍に例えると嫌がる人は多いのにね。でも、それは差別の意識からくるものだろうから、真正な理解ではないのか)

生物学的な性は、綺麗に二分しない。XX染色体をもっていても、子宮がない、膣がない*5、もしくは精巣がある人*6は存在するし、XY染色体をもっていても、外見は「女性」として成長する人*7もいる。

彼らの状態は疾患だから性別として例外的だ、とは言えない。性の発達とは発生と分化である。もともと二つに分離しているのではない。大多数とは違う仕方で発生、文化した身体を、直ちに異常であるとは言えない。皆どこかしら他人とは違う身体的特徴をもっている。

また、いわゆる「女性」であっても、テストステロンという筋肉を強くするホルモンが非常に多く分泌されている人もいる。彼女は「女性」ではないのか?筋肉質で、運動能力の高い女性は異常なのか?*8
ここまでは正常の範囲で、ここから先は異常、疾患です、という線引きは容易にできない。というか不可能だろう(しかし、診断を担う医療機関は容易に「異常」という言葉を使ってしまう) 

ジェンダーフェミニズムに配慮している体を醸し出したうえで、「なんかめんどう」という共通項をキャラに言わせておく。ウケるお話を作る戦術としてはアリなのかもしれない。でもやっぱり「めんどう」じゃダメだし、一見して性別のないキャラに「女性」性を付与していることに無自覚な時点で、あ~なんか残念な回だなと思う。

↑こういうのが「なんかめんどう」の理由なのだろうけど、考えることを放棄しているのはそっちなんだから、「いや、考えてください」と返すしかない。

バトラーをちょっと読んだところ、ジェンダー以前に生物学的・科学的な性別すら構築されたものだと言っていて、腑に落ちた。
もっというと、性別は一貫している性質をもつとも限らない。今日は女だったけど、明日は男という人だって、当然あり得る。
長くなっちゃった……。

この姉妹は何をモチーフにしているんだろうか。
というか、こんなにコンプラを連呼しているのに、11話がお蔵入りになったのはちゃんちゃらおかしい。

 

C「さらば!ニャーズ」
ニャーズは解散するらしい。→2/21追記:BOOWYについて調べて知ったのだけど、人気絶頂期に解散するというよっぽど衝撃的なことをやったバンドだったんですね…。ニャーズが「解散」を連呼するのは、そういう背景をオマージュしているのかも。
人気者であるがゆえに、利用されたくないらしい。

「よくあるよね、そういうこと」と、ぐんまちゃんが言う。
さすが、群馬のコンテンツキラー。

現実をよく評価できていなくて、引退という形でやけになっていたのは、ニャーズ達自身だったのか。
ふてくされて、投げ出しちゃうパターン。
これは私自身も身に覚えがあるから、いい教訓である。