映画『セブン(Sev7ne)』(デヴィッド・フィンチャー監督)を観た

監督:デヴィッド・フィンチャー

1995年製作

鑑賞日:2018年→2022年8月14日再鑑賞

以下、filmarksより転載(ネタバレあり)

 

最高の結末だと思う。

この映画が好きだと先輩に言ったら、箱の中は「犬の首」で、ブラピが狂っていただけ説もあるよと聞き、確かめたくて再鑑賞。
結論、箱の中は「妻の首」で、でもブラピも狂っていたと思う。考察といえる程、何か考えたわけではないが、持論をつらつら書いてみる。

 

●妻の首説の理由
犯人ジョン・ドゥが自首した時点で大罪は残り2つ。つまり被害者も残り2人。
1年前から準備してきた「奥のある」犯人が、最後の最後に犬の首を用意して大罪を完成させないのはあり得ない。トレーシーの妊娠はトレーシーに会いに行った時に偶然知ったのだから、頭数としてのつじつまを合わせるために、殺人を急遽取りやめることは困難だと思う。仮に殺人を急遽取りやめたとしても、トレーシーか胎児のうちどちらかを殺すことは不可能だろう。トレーシーを殺せば胎児も死に、妊娠初期の胎児を殺そうと思えば子宮を取り出さなければならないのでトレーシーも死ぬからだ。それに、箱の中身が「犬の首」であるなら、中身をみたサマセットがミルズ刑事を落ち着かせるために何も言わないのはおかしい。
反論として、ジョンが警察署に自首しにきたとき、奥さんから電話が入っていると言われていたため、トレーシーは生きているじゃないか!というものがあるらしい。でも、自首したジョンが血まみれだったのは、奥さんを殺害した直後だったからじゃないだろうか。だから、ジョンの衣服から「高慢」ともう一人の血液が検出された。トレーシーは助けを求める電話をしたが、誰も出ることはできず、地下鉄の騒音に紛れて殺されてしまった。(蛇足: もしかしたら、ミルズ夫妻の賃貸の大家はジョンで、部屋に入った人を殺しの対象にするつもりだったのか……?資金源にもなるし)

したがって、箱の中身は「妻の首」である。しかし、そうすると、ジョン・ドゥは胎児を含めて8人を殺してしまったことになる。
ここでふと注目したのが、ジョン・ドゥが荷物を届けるように指定した時刻だ。彼は「7時きっかり」に届けるように依頼していた。「7時」であるのは大罪の7に拘ったからか、製作陣の演出だろう。
ジョン・ドゥがサマセットに時刻を聞いたとき、サマセットは「7時01分だ」と答える。このとき、サマセットは「だいたい7時だ」とか「7時過ぎだ」と答えることも可能だったし、物語上「7時5分」でも「6時58分」でもよかったはずだ。しかし、映画の造り込みからすれば、「7時01分」には絶対に理由がある。無駄のない台詞はない。なぜ1分余分なのか。
完全に私の解釈になってしまうのだが、それは7時きっかり、つまり7人で完成する殺人を計画していたのだが、実際には7時+1分余分で、意図せず8人の殺人になってしまったことが意味として含まれているからだと考える。
総括すると、感情的な癖がありいつも怒っているミルズ刑事の、その気性の粗さをジョン・ドゥに見込まれたがゆえに犠牲にされたトレーシー、神のように審判を下すことを体現するも絶対に神になることはできない(あるいはミルズを羨ましがっていた)ジョン・ドゥで、7つの殺人は完成する。しかし、予期せぬ形で胎児も殺してしまう。トレーシーを殺すとどうしても1人分余分に殺さざるを得ない。製作陣はそれを分かっていて「7時01分」にした。まだ生まれていない胎児を人間として1人とカウントするかどうかには議論があるだろう。だから、同じ単位は使わず「1分」なのだ。
結局、罪のある7人を殺害し、大罪は完成した。最後の枠を「嫉妬」を体現した自身で埋めることができたので、ジョン・ドゥの勝ち。※最後が「憤怒」でない違和感は後述。

と、ここまで考えて、「怠惰」のあいつは死んでいないぞ……と気が付いた。待っているのは地獄らしいので殺したことと同じようなものかもしれないが、死んではいない。そうすると、最終的に犠牲になったのは7人ジャストか。う~ん、都合が良すぎて、なんか変だ。
それに、「憤怒」を体現しているブラピが殺されないのも納得しきれない。ジョンがミルズ刑事の写真を撮っていたことから、もともとミルズ刑事は大罪殺人の対象者に含まれていたと予想される。それが、刑事の訪問で予定が変更された。追いかけっこのあと、ジョンはミルズ刑事を殺してもよかったのに、あえて生かした。なぜなら、今殺してしまえば、「憤怒」を体現できないから。
5人までの殺人は犠牲者が自分自身で罪を体現することで成立していた。でも6人目からは、憤怒を体現したミルズ刑事によって殺される自分(ジョン)と、嫉妬を体現したジョンによって殺されるトレーシーという、大罪の向かい合いがなければ成立しない(ミルズがジョンに怒りを向け、ジョンがミルズに嫉妬した)。犠牲者が罪を体現していないのだが……いいのか?これで。
箱の中が犬だった場合、つまりトレーシー生還ルートの場合、すっきりするのは、殺されているのは6人で、物語後に憤怒を体現してしまったミルズ刑事が殺されること(自分自身によってとか?)。

 

●ミルズ刑事狂っている説の理由
トレーシーは“中絶したいなら妊娠の事実を夫に言うな”的なことをサマセットに言われており、終盤まで夫に何も伝えていなかった。つまり、相談してから日数が絶っていないのでまだ迷っていたか、中絶を心に決めていたかになるだろう。
とても引っかかるのは、一般的に夫婦の関係が良好だった場合、妻は、妊娠の事実を他人である年上男性に相談してから夫に打ち明けるだろうか?トレーシーの謎の不安げな表情、職場への頻回な電話等を考えると、他者へSOSを出しているように見えてしまう。なぜ不安なのか、SOSを出すのか。ミルズ刑事は、家庭でどんな人物だったのか。
“最近、夜が遅くて妻が疑う”というミルズ刑事の台詞は、文脈通りに解釈すれば、妻が浮気を疑っている、という風にとれる。しかし、薬物をやっているのではないかと疑っている、ともとれないだろうか。その根拠は、ミルズ刑事が新米刑事のころに一発発砲した事件にある。その犯人の名前をミルズはどうしても思い出せない。もしかすると、その薬物中毒者とはミルズ自身のことで、その不祥事か、別の薬物絡みの不祥事のために、この街に左遷されたのでは???と考えた。つまり、妻は夫が以前のように薬物に手を染めているから帰りが遅いのではないかと疑っているのだ。そうすると、ミルズ刑事の明らかに刑事に向かない気性の粗さも説明できる。薬物がきれて禁断症状に陥っているのでは……?
妻は若すぎる頃に結婚を決め、現在ではミルズを夫と決めてしまったことにやや後悔している、もしくは不安を感じている。
以上が、ミルズ刑事狂っている説の概要。

 

胸毛を二人で剃っている場面での、ミルズ刑事の「俺は」に何が続くのかは分からなかった。「実は俺も狂っているんだ」だといいな…。
この作品は人によってそれぞれ筋の通る解釈があり、それぞれの解釈を知ることを含めて楽しめる。ミルズ刑事は実は信心深い人説(アクィナス読めてないが)、最後に犯人を許していた説(何発も発砲することの説明がつかないが)、サマセット共犯説等々、色々あって楽しい。