第2回『ぐんまちゃん』を観た

多分アニメぐんまちゃんが伝えたいことは、OP曲『SWICH!』*1の歌詞の通りなのだと思う。
「みんなと違ったこの心はルール違反かな?」
「君のたった一言で全ての意味が全部あっけなく変わっていく」
「僕らが育ててるこの気持ちは宝物」
「もっともっと遠くまで行こうよ」
個性が強すぎて付いていけないキャラが登場しても、ぐんまちゃんはいつもと変わらず「それ、おもしろいね~」と笑う。ぐんまちゃんは自分のキャラを周囲に合わせることをしないから、場の空気を読むこともない。でも、我を強く主張することもないので、ぼんやり漂っているような印象がある。不動の動者とは、ぐんまちゃんのことだったのか。
つまり癒しキャラとは、最強のメンタルを兼ね備えたキャラなのでは?

 

Aパート「日曜日には何をする?」
ぐうたらしていることを全面肯定するアニメ、よき。
退屈だからか、ぐんまちゃんはそれぞれの家族の中身が入れ替わるゲームを提案する。

役割入れ替わりゲームにつきあってくれる家族。
大人の役割に耐えきれなくなるぐんまちゃん、かわいい。
知恵をしぼって役割をチェンジしてみたけど、うまい具合に状況は回らず。

そこでぐんまちゃんは閃き、全員ぐんまちゃんになることを命令する。
みんなでぐんまちゃんになってみると、みんなで寝っ転がってお腹を空かせる展開に。
それぞれの役割があるから生活が進展していくんだね、と気が付いたのかどうかは知らないが、ぐんまちゃんは突然Gパワーを無意味に放ち、それぞれの役割を返したところでゲームは終了する。

この話の見どころは閃いたぐんまちゃん。稲妻が身体を駆け巡るときに、ぐんまちゃんの骨が浮かび上がる。その骨の形がなんともかわいい。

 

Bパート「工場ってすごーい!」
富岡製糸場*2に行って、生糸の生産過程を見学する話。
この話はちょっとしたホラー回だった。

お蚕さんは繭の中でサナギになるのだが、生糸の生産に必要なのは繭のみなので、サナギは殺される。
繭の中のサナギを殺す→繭を乾燥させる→お湯で繭をほぐす?→糸として引き延ばす…こんな感じの行程があったと思うのだけど、それは全く解説されず。

話の内容は、生糸の生産過程よりも、労働を賛美する主張が中心だった。
働きアリ達は労働環境がホワイトであることをアピールしているが、実際に富岡製糸場で働いた工女達はどうだったのか。
当時の工場としてはホワイトな方だったとよく聞くが、あくまで当時の基準。しかも、時代が進むにつれて労働時間は延長され、一日11時間労働だったらしい。

ちょっと怖いなと感じたのは、同じ格好、同じ見た目をして、同じ生活リズムを送る無数の働きアリが、「工場は生き物みたい」、「誰も欠けてはいけない」、「皆は一人のために、一人は皆のために」とぐんまちゃんに吹聴する場面。

つい先日、シモーヌ・ヴェイユ『工場日記』を読んだ私は、
●工場を生き物のようにさせているのはあなた達自身で、あなた達こそが本当の生き物だぞ。
●誰かが欠けたとき、均一化されたあなた達は気が付くのか?誰も欠けていないように見せかけているのではないか?労働力が欠けることが工場の損失なのであって、人間は誰でもよいのではないか?
●工場の生き物化、労働者の均一化・従順化を円滑に遂行するための呪文が「皆は一人のために、~」なのでは?
●過酷な労働によって、考える意欲すら奪われていないか?
と余計なことを感じてしまった。
多分、大人が見れば、同じようなことを感じる人もいるだろう。逆に、大人視聴者に向けた皮肉なのかな…?

ぐんまちゃんはすっかり感化されて、「働くのって楽しそう」、「早く大人になって働きたいな」と口走る。やめてくれ。
ぐんまちゃんを通じて視聴者である子どもを洗脳することが目的なら、怖い話だ。

この回は登場キャラのネーミングが楽しい。
ファッションデザイナーのキリュウさん→桐生市は太古の昔から織物で有名
アリンコージョ→蟻んこ×工女
トミオーカ工場→富岡製糸場
フランソワーズさんの本名「たみ」には、何か意味があるのだろうか?

 

パートC「ハニワコンサート」
ハニワ族ではアイドルグループ「三人童女」が人気。
黄色が「か~ん」、ピンクが「の~ん」、緑が「ま~や」。
三人童女とは、高崎市の綿貫観音山古墳から出土した埴輪のこと*3。観音山だから、か~ん、の~ん、ま~や。これに気が付いたとき、大爆笑した。
三人童女は、一つの台座の上に3体の女型の埴輪が乗って、楽器を奏でている埴輪。一つの台座に3体が鎮座している埴輪は三人童女が唯一だそうで、2020年には国宝になったとか*4。県のHPは更新されていないが。

あおまが食べているのは、ペヤングかな?

箱推しの概念を学ぶ。
アイドルに熱狂しているハニワ達の心にさえ侵食するぐんまちゃん、すごい。