映画&小説『ペンギン・ハイウェイ』(石田祐康 監督&森見登美彦 著)の感想

映画版

監督:石田祐康

製作:2018年

 

原作小説

著者:森見登美彦

 

映画を観てから小説を読んだ。宇多田ヒカルのファンなので、映画の主題歌に宇多田ヒカルの楽曲が使用されていたことから、アニメ作品が存在することは知っていた。歌詞の内容からやや切ない系なのだろうとも予想がついていた。

【映画の感想】

めっっっっちゃ爽やかで可愛いジャパニメーション版『インターステラー』って感じ。
原作は未読。でも映画を観たら読みたくなった。
世界の果ては、折りたたまれて、内側にある。

公開当時Twitterで謎に炎上していたので、映画館では観ないでおこうと決めたまま、今日になってしまった。宇多田ヒカルが主題歌を担当していることは知っていたので気になってはいたが、そこまで話題になった作品でもないし忘れていた。
夏だし、時間あるし、せっかくだから観てみるかと思って観てみたら、お気に入りの作品になった。
もちろん、不満点はたくさんある。いじめっこの描き方が雑であること、登場人物の表情が分かりやすすぎること、女の子を感情的に男の子を論理的にという分かりやすすぎるステレオタイプキャラとして描いていること、などなど。
でも夏に観るアニメとしては、ワクワク感とどうしようもない切なさが丁度よく同居しているため、お勧めできる。

Twitterで炎上していた内容は、確か主人公がお姉さんの胸を好きすぎて気持ちが悪いというもの。気持ちはわかる。映画を観に行った少年少女が女性の身体へ過剰な観念なり信念を形成してしまうことを懸念したくなる。胸に執着しすぎ。すくすく成長している証拠だと言えるかもしれないが、それをNOと教えるのが大人からの教育だという批判はあるかも。でも、あの主人公の場合には研究対象で、自分の性欲に気がついていないという可笑しさ、未熟さがあるからセーフなのかな。というか、触ってないし。
青山君には、ぜひ「NASU」に就職してもらって、いつかお姉さんと再会してほしい。

小説を読んだ後からすると、なぜ「ぐんない」を省いたのか納得がいかない。エンディングで宇多田が補足してくれたからいいけどさ。

【小説の感想】

映画を観てからこちらを読んだ。大まかなストーリーは同じだったけど、ラストの印象が違った。
映画からは「また会える、その日まで」という希望を感じ取ったが、小説からは永遠の別れの予感を感じた。「だから研究に打ち込む」という動機もみえる。いつか永遠の観念になったその先で会えるかも…という、ちょっと理系からは離れた思想を感じ取った。違うかもしれないが。でも、そうでなければ、世界の果てを物理的な意味と心的意味で掛け合わせる意味がよく分からなくなる。
ただし〈海〉が残されたのかどうかは分からないから、やっぱり別れが確定したわけではない。だから、「ぐっばい」ではなく「ぐんない」なのか。

宇多田ヒカルはこの小説から何を感じ取ってあの詩を書いたのだろうか。読解力鬼じゃないか?

個人的ポイント

・世界の成り立ちという壮大なスケールのモチーフ → 創世記?天地創造?神話?
・研究に恋をするかのように打ち込むことと、お姉さんに恋をすることの掛け合わせ
・ぐんない=別れ=死、アオヤマくんの生においては永遠に会えないかもしれないこと
・世界ってどこまでの範囲を指している?世界の果てが地球に現れる都合の良さ。
・解けない方がいい問いもある→アオヤマくんにとっても、読者にとっても